標識は、三千人塚の板碑の隣にありました。
三千人塚にあるエノキの木です。府中の名木百選にも選ばれました。
塚の板碑です。この板碑は、本物かレプリカかということらしいです。郷土の森博物館に寄贈されたかどうか・・・。板碑の文字がだんだん読めなくなっているそうです。
三千人塚
分倍河原の合戦の戦死者3000人を弔った塚と言われていました。しかし、調査の結果、この伝承とは関係が無いことがわかりました。
塚には板碑があり、その板碑には、鎌倉時代の年号、康元元年(1256年)と記してありました。これは、分倍河原の合戦の元弘3年(1333年)より77年も前になります。
三千人塚の名は、板碑に「右志為七三年云々」と刻まれた銘文を、「三千人の亡骨」読み間違えたことによるものではないかとのことです。
板碑は、三千人ではなく三年ということで、3回忌で建てた供養塔であったと思われます。