標識は、分梅橋公園近く、新田川緑道を入ったところ石碑のとなりにありました。
都道18号を南下して進むと分倍河原古戦場碑の案内があります。そのまま進みます。
少し進むと新田川緑道の標識が立っています。その脇の緑道を入っていきます。
緑道脇に分倍河原古戦場の碑が建っています。その脇に標識はあります。
また、新田川緑道脇には小川が流れています。 散歩コースには最適です。
分倍河原の合戦
鎌倉時代の後期に分倍河原で鎌倉幕府と新田義貞の反幕府の間で戦がありました。
元弘3(西暦1333)、新田義貞は後醍醐天皇の要請で鎌倉幕府を討つべく討幕の旗をあげ、鎌倉の地を目指します。
5月11日、小手指原で戦いがはじまります。次いで12日は久米川で合戦です。この戦いで幕府軍は敗れ、敗走して分倍河原まで撤退します。しかし、ここで幕府は援軍を送り、15日分倍河原で合戦となります。
今度は新田軍が破れ、堀兼(埼玉県狭山市)へと敗走します。しかし、新田軍には、相模国から三浦平六右衛門義勝が援軍に駆けつけます。そして、援軍により士気の挙がった新田軍は、再び分倍河原へ攻め込み勝利します。
その後、幕府軍は鎌倉へ敗走して行きますが、21日鎌倉を攻め、鎌倉幕府を滅亡させました。
分倍河原の駅前ロータリーには、新田義貞が騎馬に載った像が建っています。分倍河原は新田義貞にとって大変重要な戦を行った地でした。