標識は、府中街道と旧甲州街道の府中市役所前交差点の脇にありました。
府中市役所前交差点、酒屋さんの前です。
交差点の向かいには、「街道まじわる高札場」の標識があります。
甲州街道
江戸時代に入り、幕府が交通政策に力をいれました。その中に、五街道があります。これは、東海道・中山道・甲州道中・奥州道中・日光道中になります。甲州街道は、江戸時代には、甲州道中と呼ばれていました。
この甲州街道は、江戸が攻められたときに甲斐の国へ逃げることかできるように整備したという説があります。本当かどうかは判りませんが、面白い考えです。
府中宿は、甲州街道の宿場町となり、六所宮の門前町としてにぎわいました。この宿は、府中三町と呼ばれる本町、番場宿、新宿(しんしゅく)の3宿からなっており、八王子の横山宿に次ぐ大きさでした。
人々は、日本橋を出ると八王子まで1日で歩いたそうです。そういうところから八王子が大きな宿場になったのではないでしょうか。
甲州街道は大きな街道ではなかったそうです。参勤交代で通る藩が少なかったのが理由のようです。高遠藩、飯田藩、諏訪藩の3つの小さな藩が通るくらいだったそうです。(東海道は、150家。中山道は、30家。日光奥州道中は、40家。水戸道中でも22家でした)
また、八王子を越えると山道が険しくなるのも人が通るのが少なかった理由のようです。諏訪の方に行く場合、中山道を使う人が多かったそうです。中山道の方が賑わっていたそうです。
郷土博物館に展示されている巨大なミニチュアより、江戸時代の甲州街道の府中宿は、このような感じでした。
ここで、屋根の色で、赤っぽいのは農家の藁葺き屋根、少し青み掛かっているのは板張りの屋根、灰色っぽいのは瓦屋根になっています。宿場の中心は板張り屋根が多いですが、中には瓦屋根の豪商がいたと思われます。そして、宿場を離れるとすぐに茅葺の屋根に変わっていたものと思われます。