標識は、鹿島神社入り口の脇にありました。
鹿島神社へは、府中街道を是政橋へ行く途中、是政郵便局の向いに「鹿島神社入り口」の看板が出ていました。
住宅街の中にある小さな神社です。
神社の中に「鹿島神社の懸仏」というタイトルで説明文の記載があったのですが、擦れて読めませんでした。残念。
懸仏(かけぼとけ)
懸仏(かけぼとけ)は掛仏とも書きます。
円形の銅版に小仏像をかけるところから、懸仏と呼ばれます。
神社に奉懸する神鏡が起源ですが、次第に懸仏へと変化していきました。
鹿島神社懸仏
鹿島神社懸仏は、市指定の有形文化財になっています。
平安時代から鎌倉・室町時代にかけて武蔵国を支配していた武士団がありました。これを「武蔵七党」と呼んでいます。この七党は、「野与・村山・横山・猪俣・児玉・丹(丹治)・西」を指すそうです。(他の説もあります)
鹿島神社懸仏からは、この中の西党「西形部宗弘」というのが読めます。
弘安7年(1284年)に造られたようです。
また、鹿島神社の付近は「横山屋敷」と呼ばれていたそうです。